推しのひとの話

本当は別の話を書こうと考えていたのだけれど、イベントやらお誕生日でちょうど良いので、推しのひとの話を。

これも#FFFFFF のお題の一つ。

#FFFFFF - 半分の引き出し

先に言いますが、今回もやはり長くなりそうです。

1.

そもそも「推し」とは何なのか。長らくわからずにいた。

いわゆる「オタク文化」の脇に常に立っていたものの、流れの中にはいなかった私にとって、最初にその言葉が流れてきたのはアイドルグループの話題だった。○○推し、という使い方をよく耳にした。それがいつからか二次元キャラクターにも適用されるようになり、気づいたらずいぶんと一般化して、お店だとかコスメだとか、人におすすめしたいような大好きなものを指すときに使われる言葉になった、ような気がする。あくまで私の観測範囲でのことだ。

とはいえここではひとまず、人、あるいはそれに準ずる存在を指して使おうと思う。

「○○のファン」と「○○推し」ではニュアンスの違いがあると思うのだが、具体的に言葉にできないのも「推し」とは何かがわからない理由の一つだった。

2.

そもそも、たとえば「夾くんと由希くん、どっち派?」と聞かれても答えられずに過ごしてきた。それは物語世界に自分がいたらどちらを好きになるかなのか(たぶん両方ならないと思う)、それとも透くんの立場に自分がいたらなのか、透くんにはどちらがふさわしいと考えるかなのか、作者は話がおもしろくなるのはどちらと判断するかなのか。

5年10か月ほど「刀剣乱舞」をプレイしているが(海外旅行に行っていた期間を除いてほぼ毎日ログインしている)、そこにも「推し」は存在しない。初期刀を真っ先にカンストさせ、極になってからは逆にカンストが寂しいからLv.98で止めて、ほかの打刀はそれより下になるようにしている、と話したら「それは推しでは?」と言われたが、自分の感覚ではそうではない。たしかに自分の本丸の彼をひいきにはしているし、キャラクターとして好きだけれど、たとえばアニメや舞台に出る姿を何がなんでも逃したくないと思ったりはしない。そういえばグッズを欲しいと思ったこともない。

当初の「アイドル」の文脈に近いところで考えると、いわゆる「アーティスト」では私はゆずが好きだ。ツアーがあれば1回は参戦することにしている。しかしこれも別に「推し」とは思っていなくて、上記した「ファン」なのだ。繰り返しになるが、その違いが何かは明文化できていない。

3.

「推し」と呼べるような情熱を傾けられる相手があることをうらやましく思うと同時に、自分の中にそんな熱量はないのだろうと思っていた。ここまで読んで、理屈をこねるタイプなのはご理解いただけたと思う。それだからだめなのかとも思っていた。

2年ほど前になる。たまたま刀剣乱舞のイベントか何かの動画を見て、その関連動画の中に、初期刀役の声優が出演している動画があった。特に何の気もなくクリックして見たところ、その中に出会いがあった。そこに一緒に出演していた声優が「推し」だった。

これが「推し」なのだなと急速に理解した。例えが良くないが、初めて足が攣ったときだとか、「これが世に言う足が攣るということか」と、"Eureka!!"と腑に落ちる瞬間があるものだが、その一つだった。

恋に落ちるのにとてもよく似ていて、鮮烈な好意を抱いた。何をしていても目で追ってしまうし、40人いても「今歌っている」と声を聞き取っている。けれどそれは恋愛感情ではなくて、一定の距離、舞台の上と下という距離は保ったままでいたい。見せてくれることはみんな知りたいけれど、見せない部分まで知りたいとは思わない。応援している人がいることを知ってほしいけれど、個として認識されたい気持ちはない。ただ健康で、自分の望むお仕事をして、できる限り楽しい毎日を送っていてくれたらと願っている。

4.

一度だけ、このような時世になる前に、朗読劇を生で観た。それはもう、声も演技も姿も素敵で、作品全体を味わいたい気持ちと「推し」のひとを目と耳と心に焼き付けたい気持ちとで処理能力の限界だった。たぶん今後も、私を週の半ばに日帰り東京旅に引きずり出すのはこのひとだけなのだと思う。

件のウイルスに感染してしまわれたときは、何をしていても祈っていた。快復の報せがあったときには泣いてしまった。言ってしまえば赤の他人で家族でも友人でもないのに、こんなに苦しんだり喜んだりするものかと、少し驚いた。

5.

一方で、コロナ禍で配信されるイベントが増え、この1年いろいろと課金して気づいたのだけれど、やはり私には人を理由に全部を追いかけるほどの熱量はないのだ。

そもそも洋画吹き替え畑の方だから、ドラマや映画が得意でない私はあまり活動を追えていない。Twitter等のほかの方を見て「見られるものは全部見なくては」という気持ちでいた。とはいえ、番組であったりプロジェクトであったり、どこか内容が肌に合わないと感じるものがあるのも否定できない。それでも出演しているなら、と見ればプラスになるのならそれでもいいが、私にはその義務感はどうもストレスになるようだ。いくら「推し」のひとが出ていても、おもしろくなければ見ないことにしよう、とついこの間決めた。人には人の推し方、である。

自分にとって適切な距離を見極めつつ、初めてのこの気持ちを持て余しながらなんとか転がして、そしてまた会いに行きたいな。

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生まれて初めてファンレターなるものも書いたけれど、あれは一体どう書くのがふさわしかったのか、喜んでもらえたのか、思い返すだにむずむずしてしまう