とっておきの時に身に纏うもの

どのように、何のために、を決めないままにふわっと始めてしまった。まだデザインやアイコンを変更したり、こそこそと楽しんでいるけれど、そのうち大海に漕ぎ出して、みなさまの記事に反応を示したりするようになるかもしれません。

そうだ、まだ確立できていないので表記に揺れがあります。読みにくいかもしれませんが、ご容赦を。

 

さて、本日も同じ #FFFFFF のお題から一つ、自己紹介の続きめいたものを。

#FFFFFF - 半分の引き出し

 

とっておきの時に身に纏うなにか

ときどきTwitterでつぶやいたりもしているけれど、和服が好きです。きもの。あまりしばしば着てはいないけれど(昨年などは出かける頻度がいつも以上に落ちてしまったので、数回しか着ていない)、手に取るだけで心が躍る。

大切なときはできるだけきものを選びたいし、中でもとっておきのときであれば、それは振袖の出番ではないだろうか。

 

成人式がお盆に開催される寒冷地に育ったので、式に出席したときは浴衣だった。周りは大半が、結婚式に新婦友人が着るようなドレス。今にして思えば、浴衣は「式」という場にはふさわしくなかったのだろうけれど、私はとても満足だったし、まだ袖を通すこともある。

では初めての振袖はというと、その前の春、写真館で撮った成人記念の写真だったと思う。レンタルの振袖で、写真嫌いがむっつりと写っている。

次に着たのは知人の結婚式だった。これもレンタルの振袖で、友人と選びに行って「背が高いからこれがお似合いよ!」とお店の方に言われたものだった。

本当は、そうやって和服を選んだのはきものが好きだからではなかった。ドレスが似合わないから、どうせ見劣りするくらいなら少ないだろう和装のほうがよいのでは、というのが正直なところ。

メコン(イメージコンサルティング)を知った今では、さもありなん、と思う。あの類のドレスをかわいらしく着こなせるタイプではない。

ところが和装というのは、大概の式典の場ですこぶる好評を得る。これがきっかけで、私は振袖を自分で買った。

 

25歳、28歳、31歳と、友人知人の結婚式への参列ピークは3回あった。最初の機会にリサイクルの振袖と袋帯を購入した。小物まで合わせても8万円ほどだろうか、かなりお買い得だったと思っている。二つめのピークまでほぼこれで乗り切った。

今でも心から大好きな一枚だ。昭和の中ごろから終わりに誂えられた、仕立ての良いきもの。着付け師さんがうっとりと「良いものね…」と言ってくれたこともある。古典柄ではないが、いかにも平成以降という柄とも一線を画していて、ほどほどに個性がある。選んだころの私は、柔らかいひとになりたい気持ちが強く、それを反映するようなパステルカラーの地色をしている。一方でただの花柄はいやという思いも表れているような、くっきりとした柄だ。

帯も、別のお店で選んだのだけれど、ありがちな黒や金ではなく、チャコールグレーの地に、振袖と共通した色使いのもの。

 

三十代になったときに、振袖は卒業かなと、この帯に合う訪問着を買った。おそらくこの振袖を身にまとう機会はもうないか、あってもいわゆる式典の場ではないと思う。年齢なんて、という気持ちもあるけれど、宇野千代先生ほど大胆には生きられない。そもそも、お気に入りではあるけれど、「今の自分」にぴったりではもうなくなってしまった。

とはいえ大好きだから、仲間と示し合わせて着るかもしれない。そんな話は、実は何度か出ている。

いつか、姪に着てほしいという気持ちはある。母の古典柄振袖もあるから、姉妹で着てはくれないだろうか。まだ3歳と0歳だけれど、そんな夢を見ている。そのときまで、大事に大事にしているつもりだ。

 

今年は成人式がなくなったり、延期になってしまったりしている。たしかに、はたち、というのは一度しか来ない。ただ振袖は衣装に過ぎないのだから、好きなときに好きなだけ着てよいと思うし、私のようにはたちをはるか過ぎてから自分の一枚を手に入れる人もいる。そのときどきの一枚を更新したっていい。先述の宇野千代先生は、亡くなる九十代まで着ていらしたのではなかったかな。今年自分の一枚に出会えなかった方にとって、それがわずかでも慰めになってくれたらいいなと思う。

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ぼやっとした画像しかないけれど、世界に一枚なのでぼけているくらいがいいかなと載せちゃう

 

せっかくなので、今回もカラーコードを。

この振袖に合わせた帯揚げの色、かつその後のきもの生活でも一番重宝している帯締めの色。不思議と、私の選ぶきものにも、母のお下がりにも、何にでも合うのだ。

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