夏のきものはときめき

夏のきものには尽きせぬ憧れがある。

なんて9月も後半のブログの書き出しにはふさわしくないけれど、このタイトルを下書きに入れてもうひと月半も経つのである。この夏はワクチンを打って熱を出したり接種会場のスタッフをしたりしているうちに手をすり抜けてしまった。

夏のきものには他にない魅力がある。そんな話をしたい。

 

和装が「難しそう」と言われる理由は、まず着付け、そこを越えても待ち受ける難所は格と季節ではないかと思う。着付けはまたの機会に譲って、格に関してはかしこまった場以外では気にしなくていい、というのが昨今の流れだ。訪問着と紬が連れ立って歩いていても、特に何も言われない。

季節に関しても同様、かしこまった場でなければ体感に合わせて、とはよく言われる。とはいえ、春、秋、冬は色柄はさておき同じ着物も着られるけれど、夏、それも真夏はそうもいかない。長着も帯も専用の素材がある。しゃりしゃりした麻や天女の羽衣のような絹、短い期間の楽しみのために生まれたものはなんとも魅力的だ。

特に古い時代の、いわゆるアンティーク着物は贅をこらしたため息のでるようなものがたくさんある。その魅力はこの本を見たらわかってもらえると思うので、ご近所の図書館ででも見つけたら手に取ってみてほしい。

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ちなみにシリーズに四季が揃っていてどれも眼福だが、ほかの3冊は品切れ重版未定。私自身も、4冊とも冊子でそろっている状態で買いたいと思っているうちにどんどん手に入りづらくなって……電子ブックで買うか悩んでいる。

 

夏のきものの大きな魅力は透けることだ。現代の私たちには、重ねて"対策"しなくてはならないちょっと厄介なものでもあるが(最近はシアー素材のはやりもあるけれど)、きものにおいてはそれを逆手にとって重ねた景色を楽しむ文化がある。

これは何も古いものに限った話ではなくて、たとえばこんなものもある。

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波の柄の透ける生地の下に、熱帯魚が描かれたもう一枚の生地が重ねられたきもの。一見シンプルに見えて、その下にカラフルなお魚が泳いでいるなんて心躍らずにいられない。

着姿にストーリー性を持たせるのは、きものの大きな楽しみのひとつだと思う。長着、帯、帯揚げ、帯締め半襟帯留め、足袋、履き物、と要素がほぼ決まっているなかで組み合わせ、一つの物語を作る。夏きものはそこに「重ねて透かす」という要素が加わり、より深まるところが私の好みなのかもしれない。

 

とはいえ、現代の夏にきもの姿は暑いのも事実。よく「風が通るから案外涼しい」なんていうけれど、お腹まわりに何枚重ねていることか。冷房が効いているから案外ちょうどいい、なんて言うつもりもない。洗えないような繊細な絹のきものを何枚も買えるような懐もなく、重ねる楽しみは主に観賞用においておいて、自身の夏支度は結局浴衣、きもの風に着る浴衣、そして今年初めて買った化繊のきものしかない。そのうえ今年の夏は一度しか着ていないけれど……。

 

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これは今年の組み合わせではないけれど。下駄と浴衣の柄の赤を合わせたかったもの。

和装するときの私は頭を使っている。このきものは裏地が赤だから帯締めにひと筋赤みを入れたいとか、千鳥とうさぎを組み合わせることで波を連想させようとか、考えることが楽しい。きっと洋服をそうやって楽しんでいる人も多いのだろうけれど、私にとっては洋服は「日常」過ぎていちいち考えたりしないのだ。そう思うと、私にはきものは少し非日常で良いのかもしれない。