大切にしている言葉

#FFFFFF のお題から。もう6つめになる。

#FFFFFF - 半分の引き出し

 

大切にしている言葉 

大学に入学してから、多面的な挫折と友人作りの下手さと、親元を離れたことによる生活リズムの乱れとで心を壊した。1年休学して4年生になったとき、数少ない友人は卒業し、授業の数も少なく、ただ自分が在るということを辛うじて許容できるようになったというだけで、何を目指すでもなく、時間が流れるからそれに押されて仕方なく進んでいる。そんな日々を送っていた。

あるとき夢にゆずの曲が流れた。妹が聞いていたなと思いながら検索して、それが『歩行者優先』という曲だと知った。

 

歩行者優先

 

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歌詞中に一度も、タイトルと同じ言葉は出てこない。ただタイトルも歌詞も声も、何かの目標に向かって走れない自分を許して、励ましてくれているように思った。

以来、何もできないと焦るときに思い出すのが「歩行者優先」という言葉だ。言葉どおりの意味というより、この歌すべてを指している。

 

追いかけてた昨日の置き忘れた足跡

超えてゆく様に 一歩ずつ歩いてゆく

ゆず「歩行者優先」詩/曲 岩沢厚治

 

もちろん高速道路が悪いわけではなく、いつでも歩行者と優先されたいわけでもなく、ただ、ゆっくりと歩くことも悪ではない。

 

この曲に出会ったあと、YouTubeでゆずのライブ映像を見て(違法アップロードだったろうと思う、時効と許してほしい)思いを募らせ、生まれて初めて自分でCDを買い、DVDを買い、ライブに参戦し、沖縄まで行った。

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大切にしている言葉、というお題の解釈として、これでよいのかという疑問はあるけれど、私にとっては「歩行者優先」という言葉が大切な意味を持つ、という話。

 

 

ゆずのキーカラーは黄色だけれど、沖縄まで会いに行った思い出のせいか、私にとってゆずは青い。

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お守りのような1冊

今回も、企画のお題から。

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その前に、一つ。

ab0309.hatenablog.com

同じお題を書かれたこちらの記事を読んでいるうちに、『モモ』『はてしない物語』『魔法のカクテル』、それにジム・ボタン2冊が並んでいた中学校の図書室、請求記号943の棚の場所、差し込む光、図書当番を言い訳に部活をサボっている最中に聞こえてきたトランペットの音色、まで鮮やかに思い出されて、驚いてしまった。

吹奏楽部だったので、トランペットの音に覚えたのは罪悪感で、今となっては懐かしい。

それくらいはっきりとした手触りのある、素敵な文章でした。

 

お守りのような1冊

このお題に書く本はとっくに決まっていた。けれど、もう何年も読み返していないのにあげてしまっていいものか、逡巡してもいた。

ただ、お守りというのが持っていることで安心するもの、必要なときに力を発揮するものなのであれば、私にとってホームであるこの本こそがお守りだな、と書くことにした。これまでの人生で一番読んだ本には違いない。

 

ルーシー・モード・モンゴメリ赤毛のアン

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出会いは小学生のころだろう。きっと名作全集等で初めて読んだのだろうけれど、記憶にあるのは、いつも図書館で借り、ランドセルに2冊ずつ詰めて帰っては読んでいた松本侑子訳の完訳版だ。市立図書館で山本史郎訳の注釈版も読み込んでいた。この、一番スタンダードであろう村岡花子訳は、シリーズ10冊セットで小学4年生のときのクリスマスプレゼントだった。我が家にはサンタさんの訪問は一切なく、予算3,000円を超えたらお小遣いから出すことになっていた。単行本はさすがに一度には買えないと判断したのだけれど、当時の文庫本でも、10冊となると少しオーバーしてしまったのを覚えている。

私にとっては初めての、自分だけの本だった。きょうだいが多いので、共有の本はいろいろあったけれど、私専用の本は持ったことがなかった。数年後に当時父が「本ならいくらでも買ってやるのに」と言っていたと妹から聞いたけれど、父のことだからきっと、ほかのきょうだいと不公平にならないように、そんなことしなかっただろう。

その後数年かけて、クリスマスごとにモンゴメリの本を揃えた。篠崎書林のNew Montgomery Booksはもうほとんど手に入らないから、当時の私に感謝している。私の少数精鋭の本棚に複数あるのは、長い間、装丁違いに思わず買ってしまった『赤毛のアン』だけだったのだけれど、数年前に角川文庫でその何冊かが復刊されて増えてしまった。読みつぶしてもまた買えるという安心感はありがたい一方で、20年経ってぼろぼろになっていると愛着が強く、買い替えるのも難しい。

 

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状態が悪いのは私の扱いが悪いからです。栞で隠している本は特に。

 

小中学生のころ一番読んでいたのは『赤毛のアン』とそのシリーズだったけれど、高校・大学では『ストーリー・ガール』のシリーズに夢中だった。今だったら『青い城』だろうか。

何がおもしろいのかと聞かれて、他人に納得してもらえるほど確かな答えはできない。ただ、ただ、好きなのだ。たぶん、モンゴメリの憧れと私のそれが同じなのではないかと思う。凛として、しなやかで、誠実で、落ち着いた声で語るひとのことが、彼女もきっと好きだった。

 

子どものころ絶対だった親も、間違えることもあるのだなと大人になって気づくように、今となっては『赤毛のアン』の欠点も見えている。モンゴメリの最期のことなども知っている。それでもそれも含めて、私の帰る場所はここなのだと思うような本だ。

 

 

モンゴメリの色彩表現がとても好きなのだけれど、「光の加減で緑色にも灰色にも見える」というアンの目の色はどんな色だろうかと、昔から考えている。

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旅の思い出

茉莉子さんからいただいたお題、二つめ。

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旅の思い出

 

旅が苦手な両親のもとで育った。同居の三世代で泊まりがけで出かけたことはなかったと思う。親ときょうだいに限っても、県内近場で数回。県外の叔父の家に数回…は日帰りだったはずだ。

とにかく父が、家で母の手料理を食べないと生きていけないのでは、というような人なのだ。どんなに遅い時間になっても家に帰りたがる(実際には出張や社員旅行で、一番家を空けていたのは父である)。

 

そんな家に育って、旅が得意になるはずもなかった。旅には憧ればかりで、ほとんど思い出などないな、と思っていたのだが、ほかのお題のために本棚を見てふと思い出したことがある。

 

大学を卒業間近の3月だった。すでに実家に居を移していたが、必要があり東京に出ることになった。今後いつ上京することがあるかわからない。学生最後の機会、せっかくだからどこかへ出かけるべきではないか。思いつきだけで東北新幹線に乗り、仙台へ向かった。東京での用事を済ませバスで実家に帰ったら、その翌日には就職先の顔合わせがあるにも関わらず。若さゆえと言ってよいのか、今なら体力が枯渇するのは明白だ。

青葉山公園伊達政宗公の像を拝んだころから雲行きが怪しくなり、大粒の雪がちらついた。ここは東北、雪への備えはあるはずだが、もしこの雪が東京まで影響を及ぼしたら、新幹線は止まり顔合わせへの出席はできないかもしれない。一抹の不安を抱きつつ、まだ日のあるような時間に宿へ引き上げる。途中、書店が見えてふらりと立ち寄った。

 

ところで、私の現在の書棚の運用方法は「複数回読むことが明らかな本以外は買わない」である。図書館のヘヴィーユーザーなのもあり、(一部実用書を除き)もう何度も読んでいる、または同じ著者の本をすでに読んでいてその1冊も何度も読み返すことがわかっている、そういう場合にしか本を買わない。そのころここまで明文化していたわけではなかったが、ほぼ同じように運用していた。

が、この仙台旅行のときに例外規定が生まれた。「ただし、旅先では初めての本を買ってもよい」

 

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左下、大崎梢『配達あかずきん』がこのときの本。その後ほかの著作も数冊読んだ。

 

翌日、新幹線は問題なく運行しており、携帯電話を車内に忘れて東京駅へ受け取りに行く、というおっちょこちょいに大わらわしつつ、無事に用事を済ませ実家に帰った。

 

それから、研修のための出張やライブ遠征のときなど、たまに本を買うようになった。上の写真はその一例である(『若草物語』は古本屋で買った)。毎回ではないし、それにまつわるエピソードもあるわけではない。ただこれだけの話だ。

素敵な旅の思い出ならほかの方が書いてくださるだろうから(もうすでに幾人も、このお題でなくとも旅を描かれていますね)、私の話は、旅の下手なやつもいるのだな、と笑い飛ばしてくれたらうれしい。

 

いつかそのうちと思いつつ、仙台再訪は叶っていない。私の中の仙台はまだ、春間近の重い雪のイメージだ。

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本当は、お題を挙げていただいたとき「書けるものと書けないもの、とてもひねくれた解釈をするもの」があると言ったうち、このお題は「書けないもの」のつもりだった。もしくは、「読書=旅」としてひねくれて書こうかと。それでも気にかけていると、ふと思いつくことがある。こういうのもおもしろいことだなと思う。機会をくださった茉莉子さんには感謝している。

世の中が落ち着いたら、今度こそ仙台へ行こう。

好きな食べものベスト3

Twitterで茉莉子さんにおねだりしておすすめのお題を挙げていただいたので、今回も #FFFFFF のお題からひとつ。

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好きな食べものベスト3

おいしかったメニューでも、覚えていないことに定評がある。彼が割と、味にこだわりがあって細かく覚えているタイプなので、どのお店で何を食べたか、忘れてはあきれられている。ごめん。

というわけで好きな食べもの、どこの何と語れないのだが、それなりにこだわりがあるもの3つを挙げてみようと思う。

 

チョコレート

お菓子の中では一等好きだ。ケーキもアイスも、何かというとチョコ味を選んでしまう。ナッツとの組み合わせには目がないし、フルーツとの組み合わせも好き。どちらかというとビターが良い。ホワイトチョコレートも好きだ。アーモンドチョコレートはロッテが好きだけれど、赤い箱のミルクチョコレートだけは独特の風味があってちょっと苦手。

食べものにあまりお金を使わないのだが(先述の理由で…)、バレンタインの時期だけは毎年、フェリシモの「幸福のチョコレート」を頼んでいて、今年も楽しみにしている。

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トマト

姿、香り、味、全部好きだ。太陽の、優しい面ではなくて情熱的な面を味わっている気分になる。

昔から好きだったが、本当にそのおいしさに気づいたのは進学のため上京したころだ。まずいのだ。東京の、スーパーの棚で時間をかけて熟したトマトが。霞んだ赤色で、味も香りもない、ぼんやりとした謎の存在。ちゃんと畑で熟したトマトのおいしさと、自分がトマトを好きなんだということをそのときやっと自覚した。

今も、トマトはちょっとした課金対象だ。できるだけ輸送距離の短い地元産を選ぶ。おいしかった生産者は覚えて次回も買う。酸味が強め、皮は厚めが好みだ。ただ、冬場の大きなトマトははずれが出やすいので、この時期は比較的味の安定しているプチトマトばかり買っている。

プチトマトといえば、以前おいしいトマトに出会った。東京は(たしか)神田神保町如水会館1階のレストランのランチで食べた、サラダビュッフェのプチトマト。これは覚えている。

 

パイナップル

あと一つ、何だろうとしばらく考えていた。普通に好きなもの、はほどほどにあるが、特別に好きなものは何だろう。酸味のある果物はだいたい好きだし…と考えて、そうだ、生のパイナップルだ、と思い当たった。

大学生のとき、先のトマトらしきものを買ったスーパーで小ぶりなパイナップルを売っていることがあって、一人でも余裕だから丸ごと買っていた。実家でも、私が帰るときにはよく、パイナップルの入った器が冷蔵庫に入っている。

生のパイナップルは甘酸っぱい果汁が溢れて、私はつい次から次と食べてしまうのだが、意外と自分で買ったことがないという人に会う。パイナップルを買うときのコツは、葉と芯と皮で半分以上を占めるから、生ごみの回収日を確認しておくこと。あとは実が黄色っぽく見えればいいかなと思っている。

 

嫌いな食べものがかなりはっきりしているので、そちらについて人に話すことはよくあるのだけれど、自分の好きなものを確認することはあまりなかったのかもしれないなと思った。嫌いなもののことを考えるより、やっぱり好きなもののことを考える方が楽しい。

 

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これはいつぞや食べたメロン。結局旬の果物がおいしい。

 

今回の色はチョコレートブラウン。青みの色と組み合わせると都会的でおしゃれだと思うのだけど、なかなか挑戦できずにいる。

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そのうち、4年で3回引っ越す羽目になったプチ転勤族の住処の選び方について、自分のメモ代わりに書こうかなと思う。晴れた日は考えごとに向かないので、雨の日かいつかの夜に。

とっておきの時に身に纏うもの

どのように、何のために、を決めないままにふわっと始めてしまった。まだデザインやアイコンを変更したり、こそこそと楽しんでいるけれど、そのうち大海に漕ぎ出して、みなさまの記事に反応を示したりするようになるかもしれません。

そうだ、まだ確立できていないので表記に揺れがあります。読みにくいかもしれませんが、ご容赦を。

 

さて、本日も同じ #FFFFFF のお題から一つ、自己紹介の続きめいたものを。

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とっておきの時に身に纏うなにか

ときどきTwitterでつぶやいたりもしているけれど、和服が好きです。きもの。あまりしばしば着てはいないけれど(昨年などは出かける頻度がいつも以上に落ちてしまったので、数回しか着ていない)、手に取るだけで心が躍る。

大切なときはできるだけきものを選びたいし、中でもとっておきのときであれば、それは振袖の出番ではないだろうか。

 

成人式がお盆に開催される寒冷地に育ったので、式に出席したときは浴衣だった。周りは大半が、結婚式に新婦友人が着るようなドレス。今にして思えば、浴衣は「式」という場にはふさわしくなかったのだろうけれど、私はとても満足だったし、まだ袖を通すこともある。

では初めての振袖はというと、その前の春、写真館で撮った成人記念の写真だったと思う。レンタルの振袖で、写真嫌いがむっつりと写っている。

次に着たのは知人の結婚式だった。これもレンタルの振袖で、友人と選びに行って「背が高いからこれがお似合いよ!」とお店の方に言われたものだった。

本当は、そうやって和服を選んだのはきものが好きだからではなかった。ドレスが似合わないから、どうせ見劣りするくらいなら少ないだろう和装のほうがよいのでは、というのが正直なところ。

メコン(イメージコンサルティング)を知った今では、さもありなん、と思う。あの類のドレスをかわいらしく着こなせるタイプではない。

ところが和装というのは、大概の式典の場ですこぶる好評を得る。これがきっかけで、私は振袖を自分で買った。

 

25歳、28歳、31歳と、友人知人の結婚式への参列ピークは3回あった。最初の機会にリサイクルの振袖と袋帯を購入した。小物まで合わせても8万円ほどだろうか、かなりお買い得だったと思っている。二つめのピークまでほぼこれで乗り切った。

今でも心から大好きな一枚だ。昭和の中ごろから終わりに誂えられた、仕立ての良いきもの。着付け師さんがうっとりと「良いものね…」と言ってくれたこともある。古典柄ではないが、いかにも平成以降という柄とも一線を画していて、ほどほどに個性がある。選んだころの私は、柔らかいひとになりたい気持ちが強く、それを反映するようなパステルカラーの地色をしている。一方でただの花柄はいやという思いも表れているような、くっきりとした柄だ。

帯も、別のお店で選んだのだけれど、ありがちな黒や金ではなく、チャコールグレーの地に、振袖と共通した色使いのもの。

 

三十代になったときに、振袖は卒業かなと、この帯に合う訪問着を買った。おそらくこの振袖を身にまとう機会はもうないか、あってもいわゆる式典の場ではないと思う。年齢なんて、という気持ちもあるけれど、宇野千代先生ほど大胆には生きられない。そもそも、お気に入りではあるけれど、「今の自分」にぴったりではもうなくなってしまった。

とはいえ大好きだから、仲間と示し合わせて着るかもしれない。そんな話は、実は何度か出ている。

いつか、姪に着てほしいという気持ちはある。母の古典柄振袖もあるから、姉妹で着てはくれないだろうか。まだ3歳と0歳だけれど、そんな夢を見ている。そのときまで、大事に大事にしているつもりだ。

 

今年は成人式がなくなったり、延期になってしまったりしている。たしかに、はたち、というのは一度しか来ない。ただ振袖は衣装に過ぎないのだから、好きなときに好きなだけ着てよいと思うし、私のようにはたちをはるか過ぎてから自分の一枚を手に入れる人もいる。そのときどきの一枚を更新したっていい。先述の宇野千代先生は、亡くなる九十代まで着ていらしたのではなかったかな。今年自分の一枚に出会えなかった方にとって、それがわずかでも慰めになってくれたらいいなと思う。

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ぼやっとした画像しかないけれど、世界に一枚なのでぼけているくらいがいいかなと載せちゃう

 

せっかくなので、今回もカラーコードを。

この振袖に合わせた帯揚げの色、かつその後のきもの生活でも一番重宝している帯締めの色。不思議と、私の選ぶきものにも、母のお下がりにも、何にでも合うのだ。

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「あなたの思う幸せなひととき」

 

はじめまして。

  

ずいぶん昔になってしまったけれど、学生のころ、非公開のブログを日記代わりにしていた。

先日、Twitterでお話しさせていただいている茉莉子さんの交換日記企画、 #FFFFFF を見ながら思い出して開いてみたら、若くて苦くてもがいている自分がありのままに残っていて、思わず閉じてしまった。苦しんでいたころの記憶は、消せるものでもないけれど、読み返すにはまだ荷が重い。

そのときはまだ、特にブログを再開しようなんて思っていなかったのだけれど、振替休暇をとった今日、雨が降っていたから、思い立ってブログを新しく開いてみた。こっそりと、ひっそりと。

明日は明日の風が吹くから、そうしたら閉じてしまうかもしれないけれど。

 

 

hikidashi-3.hatenablog.com

せっかくなので、自己紹介がてら、 #FFFFFF よりお題をいただいて少し書いてみたいと思う。

 

あなたの思う幸せなひととき

雨が降っていたからブログを開設した、その飛躍の間にあるのは、私にとって最高に幸せな瞬間のひとつが「干したおふとんに潜りこむとき」である、ということ。

先週は珍しく休日出勤で、本日金曜日はその振替のおやすみ。先週もふとんを干していなければ、今週末も干せそうにない。そのことに砂埃のような落胆があって、どうしようか考えたときにふと、今までとちがうことをしてみたくなった。

もうひとつの幸せ、を今並行している。

冬にスープを煮込むこと。手羽先と長ねぎを一本、しょうがをたっぷり入れたシンプルなスープがことことと喋っている。

冷暖房の風が苦手で、特にエアコンの温風は息ができないように感じるから、寒冷地住まいではあるけれどほとんど付けない。冬場は煮込み料理やアイロン、そしてこたつで暖をとっている。

暖房は苦手だけれど、暖かいものにはやっぱり、幸せが詰まっている。夏はまた違った「幸せなひととき」があるけれど。

思いついたときに少しずつ、書いていくかもしれない。

 

 

それでは、最後に好きな色を。

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少し濁った、紫がかった空色。夕暮れと夜の間の色。

冬至大寒も過ぎて、日が長くなってきた。田舎に住んでいるので空が広いのだけれど、ちょうど退勤するころ、山際がほんのり明るくて少し気分が良い。

空が好きなのです。

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