どういうおばあちゃんになりたいか

#FFFFFFから、ひとつ。

このブログを始めるきっかけになったこの企画も、主催の茉莉子さんがブログを閉じられるということで、最後の記事になる。ただもしかしたら、せっかくブログのカテゴリとして作ったことでもあるし、お題に応えるような形でまた書くかもしれない(茉莉子さんに許可はいただいていませんが…)。

 

さて、どんなおばあちゃんになりたいだろうか。私はおそらく、一人暮らしを続けるだろう。以前は、きっと世を去ったあとの片付けをしてくれる姪たちに迷惑をかけないよう、固定資産はなるべく持たずに介護付きアパートにでも入れたらいいなと思っていた。でも向いていないなと思うから、もう少し理想に寄った話をしましょう。

 

今の仕事を、定年退職するまで続けるだろう。退職しても体が元気なうちは、地元の図書館に勤めたり、何かボランティアしたりできるだろうか。

家は河岸段丘に腰掛けている、小さな、きっと3DKくらいの平屋。場所は一族の住む土地の隅の方。スーパーは歩いて20分くらいだから、天気の良い日はお散歩代わりに歩こう。駅までは近いが、電車にはあまり乗らないだろう。

一室には本棚を並べる。今は転勤もあるから買っていない、奥行きのある大きな本棚に、ハードカバーの本が並んでいる。ファンタジーや、ミステリー、それにモンゴメリ、オルコット、ウェブスター。翻訳小説が多い。少し埃っぽいのは、私の性格上仕方ない。今更変わらない部分だ。

この部屋がもし外に面していたら、近所の子どもがそこから入ってくる。古い本の匂いや狭いところでの読書が好きな子どもの秘密基地になって、夕方暗くなる前に、読みかけの本を持たせて帰らせる。ときどきはおやつを握らせる。

もう一部屋は寝室兼衣装部屋。そこそこの数の和服を持っていて、洋服と和服は気分で選んでいる。たぶんお祭りの日に、姪やその子や近所の子の浴衣を着せることもあるかもしれないから、もう少し勉強しないといけない。

生活は気まぐれで、必ずお昼寝をしている。名前をつけて飼っているのはルンバだ。たまに散歩に出かけているが、3歩進むたびに立ち止まって写真を撮ったり景色を眺めたりしている。姪が子どもを連れてきて、家から賑やかな声が聞こえる日もあるが、基本的には静かでひっそりとした暮らしだ。

 

かなり理想の方を向いた未来を描いたら、いやに具体的になってしまった。どんなおばあちゃんに、というよりはどんな暮らしをしたいか、その外面という感じだ。暮らしの内側はまあ、穏やかであればいいなと思っている。

 

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何でも言葉にしてしまう怪獣は、今ちょっとだけ我慢している

ほかの人とは比べようもないが、どうも「言葉にする」ということをよくしているようだ。まあブログなど書いている時点で明らかなのだけれど、見たもの、感じたこと、表に出す出さないはともかく、とにかく言葉という形にしている。

それ自体は良いとも悪いとも思っていない。今控えようとしている「怒りを言葉にする」という行動も、冷静にいられるのなら悪いことではないだろう。ただ今の私は、言葉にすることで怒りを繰り返しなぞって増幅させるという、無益なことをしている。原因を分析してもそこに至る経過をたどっても、怒りの種(とある人なのだけど)はどうしたって取り除けないし、無駄な消耗なのはわかりきっているのに、夜毎言葉にして眠れなくなっている。

どうにも怒りっぽい性格だから、感情そのものは抑えられなくても、少なくともこの怒りだけは言葉にして刻みつけることをやめたい、のだが。なかなか難しい。

お料理・お洗濯・お掃除をするうえでのこだわり(お弁当編)

いつでもできると思っていることにはいつまでも手がつかないのは、私がずぼらなだけか、それとも人間みんなそうなのか。

 

今回は#FFFFFF から「お料理・お洗濯・お掃除をするうえでのこだわり」について、究極のずぼらによるお弁当編を書きたいと思う。

#FFFFFF - 半分の引き出し

こだわりは、「手間を減らすこと」だ。

 

私はずぼらなりに仕事の日は99%お弁当を持って出勤していて(誇張ではなく、昨年度買って食べたのは1回くらいじゃなかろうか)、そのコツを後輩に聞かれたのだのだけれど、残念ながらこの春から二人暮らしになったばかりの後輩にはあまりヒントにならなかったと思う。でももしかしたら、何か誰かの役に立つかもしれないし書き留めておこう。

 

 

前提: 作らなくってもいい

私の場合、食堂と売店は混み合い、近所にはラーメン屋さんとカツ丼屋さん、徒歩5分のスーパーと徒歩15分のコンビニ、いずれもたまにならよくても毎日はちょっと…と思うから作っている。職場には自宅に帰って食べる方もいるけれど、もちろんそれも良し。

 

1. 一番苦手なことは何ですか?

私は早起きです。

いつもご飯はまとめて炊いて冷凍しているのだけれど、ご飯を解凍して冷ます暇がないほど朝が苦手な私は、昼食の炭水化物はおいもにしました。

 

2. おかずの数を固定する

たんぱく質2種類、野菜3種類以上、プチトマト、主食のおいも。

たんぱく質は大抵、鶏むね肉と、魚か豚肉か卵。たんぱく質+野菜の料理が2品あれば、野菜をもう1品とプチトマトと蒸したおいもという勘定になる(たんぱく質だけで1品なら、付け合わせを足す)。職場にレンジがあるので、冬場はいつもスープで1品にしている。冷蔵庫もあるので生野菜も気にせず持って行く。

今日のお弁当を例に挙げると、

  • 蒸し鶏とキャベツの柚子胡椒和え
  • アスパラとトマト、めかじきの三杯酢ドレッシング
  • 小松菜をレンジで蒸して麺つゆとすりごまをまぶしたもの
  • プチトマト
  • 蒸したさつまいも

※トマトは好きなので被っても気にしない。

 

3. 夜のうちに調理する

これはもう完全に、一人暮らしだからかもしれないのだけれど、平日は「今食べたいものを作らない」生活をしている。仕事から帰って作りたい気持ちにはならないので、どうしても食べたいものがあれば買って帰る(疲れた日はよくお刺身を食べる)。普段は、

夕食後に調理

→翌朝お弁当を詰める

→残りで夕食

というルーティンだ。一度に(昼と晩)×2回くらい食べられる量を作るので、毎日全てのおかずを作るわけではない。

 

4. 味のバリエーションは、しすせそ

甘いおかずは卵焼きくらいだけれど、塩/酢/醤油/味噌とできるだけ同じ味がかぶらないように作っている。あとはパセリやバジル、柚子胡椒、マスタード、豆板醤、などなどで目先を変える。

 

5. 洗いやすいお弁当箱

食器洗い機のあった実家では細かく区切られたお弁当箱を使っていたけれど、今は一段のもの、仕切りも外して使っている。蓋もレンジにかけられるので便利だ。Afternoon Teaで買ったのだけれど、今はないのかな、見つからなかった。

冬場のスープは、レンジにかけられる密閉容器に入れて持って行っている。

 

おおよそこんなところだろうか。たまに自分の味に飽きることはあるけれど、これで6年続いているので私には向いているのだろう。

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これは昨年、唯一の出張で食べたお昼ごはん




 

イメコンでベターを知る

イメージコンサルティング——というか、昨今「イメコン」としてSNS等で話題になっているもの——の診断をいくつか受けてしばらく経つ。

たぶん、イメコンとイメージコンサルティングは少し違うのだろう。イメコンはいまや、コンサルタントの手を借りて最適な自分を作るというよりは、タイプ分けして自分に似合うものを探す手段、という意味のことばとして独立している。だって「診断」するものになっているし。

私の受けた結果は下記のとおりだ。

  • 骨格診断:ナチュラ
  • 顔タイプ診断:クールカジュアル
  • パーソナルカラー:いわゆる4分割の診断ではサマー。16分割では1stクリアウィンター、2ndブライトサマー
  • パーソナルデザイン:1stナチュラル、2ndファッショナブル

 

もともとファッションが好きかというとそうでもない。化粧もあまり楽しくない。なぜこれらのイメコンを受けたかというと、どちらかというと変身願望の方が理由に近い。ずっと、テレビで見る変身企画のように、プロの手にかかったら私も素敵になるのでは?と思っていた。結果、濃い化粧は似合わないし、似合う服装も今までの延長線上にあるし、変身というほど劇的な変化は起こしようがなかった。

ではイメコン前後で何が変わったかというと、ベターを選びやすくなった、というのがとにかく大きい。

似合うために必要なポイント、どのくらいならベストから外れてもベターになるのか、びっくりするほど似合わないものは何か。これらを知ることによって圧倒的に服が選びやすくなった。

 

そもそも、毎日ベストな格好をしたいわけではない。今の流行からすると比較的それをしやすいタイプではあるが、かといってベストのワンパターンだけを着たいわけでもない。

たとえば、シャツはスタンダードカラーが一番似合うが、今年流行っているバンドカラーも着たい。ちょっと生真面目そうな印象になるが似合わない服ではない、ということを判断できるようになったのがイメコンの成果だ。少しオーバーサイズで、ボタンを二つ開けて腕まくりすれば、かなり似合うようになる(というか腕まくりは大半の問題を解決してくれる)。

 

一方で、「女らしい」または「女の子らしい」と形容される服装は似合わない。そもそも、ありがたいことに、私はそれらを着たかったわけではない。ただ「イメコン前」は、年齢とともに求められているような気がして、顔タイプでいえばソフトエレガント的な、パーソナルデザインでいえばフェミニン寄りな、そういった服装に近づいていた。それはワーストではなくとも、ベターでも、もちろんベストでもないことを知った。今は思う存分個性を活かした、というか個性に合った服装をしている。たまたま、私の内面もこちらに合っている。

 

たとえ上記の"スペック"が全て同じであっても、同じものが似合うわけではない。「イメコン」がイメージコンサルティングから乖離した面があっても、個々人に帰結することには変わりない。

単純に似合うものの違いでも、性格の違いでも好みの違いでも、生活の違いでも扱いは変わる。

たとえば、私はパーソナルカラーはほとんど気にしていないが、単にもともと「彩度の高すぎない明るい寒色」が好きで、意識しなくても選んでいるからだ(なお私の場合、クリアウィンターも似合うサマーという括りがしっくりくる。サマーの濁色の方が、ウィンターのほかの色より似合うからだ。同じタイプに分類されてもこうでない人は多いと思う)。

 

ベターでなくベストで毎日過ごしたい人もいるだろう。その場合はきっともっと突き詰めていかないと難しいのだろうけれど、私にとっては、恐々服を選んでいたところからベターな選択肢を絞れるところまできただけで、かなり楽になったし、満足している。むしろファッションとの距離がほどほどの人の方が、イメコンを受けると生きやすいのかもしれない。

 

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私の顔色をベストにしてくれる色



春のお散歩記録2021

1月から3月に十年ぶりにブログを書いたら、すっかりアウトプット欲が収まってしまったようで、書きかけてはやめる、を繰り返していた。とはいえ前の記事からひと月以上も経って、はてなブログさんから「そろそろいかがです?」のお知らせも来たし、書きたいものもいろいろありはするので、寄せたり返したりする波に乗ってまた少し書いてみようかなと思う。

とかいいながら、今回は写真がメインになりそうだ。

 

***

 

筋金入りの方向音痴だけれど、妙に帰巣本能だけは優れていて、旅先ですら”一度自分の荷物を置いた”宿泊先には、"時間の制限がなく"、"徒歩で”あれば必ず帰れる。一方で、方向音痴特有の「別の方向から見ると同じ場所だとわからない」特性も備えているので、いまだに実家の近所でさえも知らない(ように見える)道がいくらでもある。

これを良いことに、知らない方へ知らない方へと進む散歩が好きだ。帰りたいなと思うと家の脇の道に出たりするから、大変便利である。

そういった散歩で春のうちに撮った、行き場のない写真をここに載せたいと思う。スマホ、ミラーレス一眼(9年のお付き合いのPEN E-PL1s)混在。ただ何となく撮っているので、一向にうまくはならないけれど、まあ題材がきれいだからちらっと見ていただけたらうれしい。

 

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推しのひとの話

本当は別の話を書こうと考えていたのだけれど、イベントやらお誕生日でちょうど良いので、推しのひとの話を。

これも#FFFFFF のお題の一つ。

#FFFFFF - 半分の引き出し

先に言いますが、今回もやはり長くなりそうです。

1.

そもそも「推し」とは何なのか。長らくわからずにいた。

いわゆる「オタク文化」の脇に常に立っていたものの、流れの中にはいなかった私にとって、最初にその言葉が流れてきたのはアイドルグループの話題だった。○○推し、という使い方をよく耳にした。それがいつからか二次元キャラクターにも適用されるようになり、気づいたらずいぶんと一般化して、お店だとかコスメだとか、人におすすめしたいような大好きなものを指すときに使われる言葉になった、ような気がする。あくまで私の観測範囲でのことだ。

とはいえここではひとまず、人、あるいはそれに準ずる存在を指して使おうと思う。

「○○のファン」と「○○推し」ではニュアンスの違いがあると思うのだが、具体的に言葉にできないのも「推し」とは何かがわからない理由の一つだった。

2.

そもそも、たとえば「夾くんと由希くん、どっち派?」と聞かれても答えられずに過ごしてきた。それは物語世界に自分がいたらどちらを好きになるかなのか(たぶん両方ならないと思う)、それとも透くんの立場に自分がいたらなのか、透くんにはどちらがふさわしいと考えるかなのか、作者は話がおもしろくなるのはどちらと判断するかなのか。

5年10か月ほど「刀剣乱舞」をプレイしているが(海外旅行に行っていた期間を除いてほぼ毎日ログインしている)、そこにも「推し」は存在しない。初期刀を真っ先にカンストさせ、極になってからは逆にカンストが寂しいからLv.98で止めて、ほかの打刀はそれより下になるようにしている、と話したら「それは推しでは?」と言われたが、自分の感覚ではそうではない。たしかに自分の本丸の彼をひいきにはしているし、キャラクターとして好きだけれど、たとえばアニメや舞台に出る姿を何がなんでも逃したくないと思ったりはしない。そういえばグッズを欲しいと思ったこともない。

当初の「アイドル」の文脈に近いところで考えると、いわゆる「アーティスト」では私はゆずが好きだ。ツアーがあれば1回は参戦することにしている。しかしこれも別に「推し」とは思っていなくて、上記した「ファン」なのだ。繰り返しになるが、その違いが何かは明文化できていない。

3.

「推し」と呼べるような情熱を傾けられる相手があることをうらやましく思うと同時に、自分の中にそんな熱量はないのだろうと思っていた。ここまで読んで、理屈をこねるタイプなのはご理解いただけたと思う。それだからだめなのかとも思っていた。

2年ほど前になる。たまたま刀剣乱舞のイベントか何かの動画を見て、その関連動画の中に、初期刀役の声優が出演している動画があった。特に何の気もなくクリックして見たところ、その中に出会いがあった。そこに一緒に出演していた声優が「推し」だった。

これが「推し」なのだなと急速に理解した。例えが良くないが、初めて足が攣ったときだとか、「これが世に言う足が攣るということか」と、"Eureka!!"と腑に落ちる瞬間があるものだが、その一つだった。

恋に落ちるのにとてもよく似ていて、鮮烈な好意を抱いた。何をしていても目で追ってしまうし、40人いても「今歌っている」と声を聞き取っている。けれどそれは恋愛感情ではなくて、一定の距離、舞台の上と下という距離は保ったままでいたい。見せてくれることはみんな知りたいけれど、見せない部分まで知りたいとは思わない。応援している人がいることを知ってほしいけれど、個として認識されたい気持ちはない。ただ健康で、自分の望むお仕事をして、できる限り楽しい毎日を送っていてくれたらと願っている。

4.

一度だけ、このような時世になる前に、朗読劇を生で観た。それはもう、声も演技も姿も素敵で、作品全体を味わいたい気持ちと「推し」のひとを目と耳と心に焼き付けたい気持ちとで処理能力の限界だった。たぶん今後も、私を週の半ばに日帰り東京旅に引きずり出すのはこのひとだけなのだと思う。

件のウイルスに感染してしまわれたときは、何をしていても祈っていた。快復の報せがあったときには泣いてしまった。言ってしまえば赤の他人で家族でも友人でもないのに、こんなに苦しんだり喜んだりするものかと、少し驚いた。

5.

一方で、コロナ禍で配信されるイベントが増え、この1年いろいろと課金して気づいたのだけれど、やはり私には人を理由に全部を追いかけるほどの熱量はないのだ。

そもそも洋画吹き替え畑の方だから、ドラマや映画が得意でない私はあまり活動を追えていない。Twitter等のほかの方を見て「見られるものは全部見なくては」という気持ちでいた。とはいえ、番組であったりプロジェクトであったり、どこか内容が肌に合わないと感じるものがあるのも否定できない。それでも出演しているなら、と見ればプラスになるのならそれでもいいが、私にはその義務感はどうもストレスになるようだ。いくら「推し」のひとが出ていても、おもしろくなければ見ないことにしよう、とついこの間決めた。人には人の推し方、である。

自分にとって適切な距離を見極めつつ、初めてのこの気持ちを持て余しながらなんとか転がして、そしてまた会いに行きたいな。

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生まれて初めてファンレターなるものも書いたけれど、あれは一体どう書くのがふさわしかったのか、喜んでもらえたのか、思い返すだにむずむずしてしまう

 

わたしのサブスク

#FFFFFF のお題から。リクエストのリクエストをして、いただいた中では最後の一つ。

#FFFFFF - 半分の引き出し

 

なぜこれが最後になったかというと、単に私があまり活用できていないからだ。最初は図書館についてこじつけて書くか、とも思ったけれど、さすがに公共サービスを同列に語るのが危険な自覚はあったのでやめました。ただ書けることがほとんどないので、月/年ごとに定額を支払っているもの、という大きなくくりでいきたい。

 

わたしのサブスク

 

雑誌

ここ数年、dマガジンを契約している。正しく「サブスク」と言えるのはこれしか使っていない。たまに、読みたかった特集、載っていないなというときもあるけれど、まあかなりの数の雑誌が読めるから便利だ。利用にはだいぶむらがあって、ひと月にありったけ読むときも、何か月も全く開かないときもあるので、サブスクのありがたみを実感しているとも言えるし、節約を考えたときに真っ先に候補に浮かぶものの一つでもある。

音楽

歌は歌詞が気になって流し聞きができないし、歌詞がないものは聞こえなくなってしまう。とっかえひっかえではなく同じ歌だけ聞ければいいので、まだCDから落として聞いている。ということでこの項目に入るのは、もう10年ほど入会している「ゆずの輪」(ゆずのファンクラブ)だけだ。

推しごと

推しの方についてはまた後日……最近(とはいえもう2年近く経つけれど)得たこの感覚を書き留めておきたい。ニコニコでやっている番組と、別の配信番組のアプリに課金している。

寄付

サービスでも何でもないけれど。フェリシモで毎月100円の寄付をしている。私の受ける対価としては、通販カタログが手に入ることだろうか。その昔、通販カタログを作りたくて通販会社に就職しようかと思ったくらいには好きなので、届いたらかなり読み込んでいる方だと思う。

雑感

日時を指定されて何かの行動をする、ということが得意でない。何しろ怠け者なのですべては後回し、外出はもちろん荷物の受け取りも、何かを消費することも億劫だ。大人になってから着付けを習ったが、毎回教室にたどり着くまでとても気が重かった。サブスクではないけれど、ブンゴウメールという、青空文庫の文章を少しずつ切り分けて毎日メールで送ってくれるサービスがあるのだが、それすらため込んでから読んでいる。

ブンゴウメール自体は良いサービスです。興味があればぜひ。

bungomail.com

そんな私が、定期的な支払いをしても元がとれたと感じられる、十分な見返りを得られる、楽しみを享受できる、そんなサービスがあるとしたら何かと考えていた。意識せずに消費できて、生活に楽しみが生まれるようなもの。それが冒頭の図書館につながったのだけれど、では公共図書館でなく私設の図書館だったら……よっぽど好みの品揃えだったら利用するかもしれない。それは豊かだな。